国営大井川用水農業水利事業
昭和20 年代に入ってからも大井川の両岸では用水の取り入れは、江戸時代の圦樋を起源とする取入口で行っていました。これらは構造も古く、渇水時はもちろん、通常の取水も困難な状態に陥っていました。このため、農林省(現農林水産省)では、水不足への抜本的な対策と水利施設の近代化のため、昭和22 年度から国営大井川農業水利事業を実施することを決定しました。
当初は、大井川に設けられていた15 か所の取入口のうち12 か所を1か所の頭首工(島田市赤松)に統合し、新しい用水路を造り、志太・榛原地域へ水を送る計画でした。
志太・榛原地域での用水計画が動きはじめると、ため池に依存した不安定な農業を行っていた小笠地域でも、水不足解消のため安定した水源の必要性の訴えが続きました。このめ、昭和26 年4月に大井川総合開発計画の一環として事業内容を見直し、取水地点を大長村(現島田市)の赤松から上流の神座に移すとともに、大長村(神座)並びに大井川右岸の五和村及び金谷町、小笠郡等の町村の受益地を編入した、土地改良法に基づく事業計画としました。
また、昭和27 年10 月には、本事業も大井川総合開発計画に加わり、取水地点を更に上流に移し、中部電力株式会社の井川ダムから連なる川口発電所の放水を直接取水する計画とし、幹線用水路の一部区間を中部電力株式会社との共同事業として実施することとしまた。
※関係市町村の記載順は、『農林省大井川農業水利事業計画書(昭和26 年 3 月)』を基本とした。
川口発電所の取水工からは、かんがい期には最大39 ㎥ /s もの用水が取水され、島田市神座に設置した神座分水工までトンネルで運ばれ、志太・榛原地域及び小笠地域に分水されます。
志太・榛原地域に用水を送る幹線水路は6本に分岐し、島田市、焼津市、藤枝市、牧之原市及び吉田町を潤します。小笠地域に用水を送る幹線水路は、水路橋で大井川を渡り、
牧之原台地をトンネルで流下した後、掛川市、袋井市、御前崎市及び菊川市を潤します。
旧大井川水路橋 L=700m
川口取水工
赤松第一分水工(現赤松分水工)
竣工式(昭和 43 年 8 月 25 日)
旧国営事業の工事は、現在のように建設技術が発達していなかった時代のため人力に頼る部分も多く、また、取水工位置の変更や受益地の編入など4回にわたる事業計画の見直しや変更が行われたため、事業期間は 22 年間にも及び、昭和 43 年度にようやく完成を迎えました。
菊川頭首工 ( 昭和 39 年当時 )
旧大井川サイホンL=828m(昭和27 年当時)