水不足に悩まされた小笠地域

 小笠地域は、菊川等の小規模な河川しかないため、江戸時代には川の水だけでは水田を潤すことができなくなっていました。農民は、水不足に備えるため、ため池を数多く築造しましたが、地域全体を潤すほどの余裕はありませんでした。長く日照りが続くと、ため池の水は度々干上がり、干ばつが発生します。そのような時、農民は近くの神社に出向き雨乞いの神事を行いました。

 

 明治時代になると、小笠地域の水不足を解消するため、掛川町の素封家である山崎千三郎が私財を投じて実地測量を行い、大井川から用水を小笠地域まで導く「大井川疏水計画」を明治21 年に策定しました。しかし、工事には莫大な費用が掛かること、また、山崎が早世したことから、幻の計画となってしまいました。

 

 小笠地域の農民にとって水不足の解消は切実な願いでしたが、水不足は大正、昭和に

入っても続くことになりました。

雨乞いの図(『掛川市史』より)

両地域のための池数の比較